『進撃の巨人』――どうして「他者は消えるべきだ」と考えるに至るのか?

『進撃の巨人』が描くのは、憎しむことを学んでいく世界だ。プロパガンダ、恐怖、記憶、そして他者の消滅をやがて「あり得る選択肢」として考えられるようにしてしまう仕組みを読み解く。
地鳴らしが始まったとき、『進撃の巨人』の暴力は、もはや引き返せない地点にまで達したように見える。エレンは故郷であるパラディ島を守るため、島の外にいる人類のほとんどを踏み潰そうとする。しかし、この常軌を逸した決断は衝動的に生まれたものではない。彼に与えられたあらゆる選択肢を考え抜いた末にたどり着いた結論でもある。

そのはるか以前から、諫山創は、ほかの人間を「悪魔」と呼ぶよう教え込まれる子どもたち、壁や柵によって隔てられた人々、遺産のように次の世代へ受け継がれていく過去の凄惨な罪、相反する歴史の語り、そして自分たちが生き残るには相手が消えるしかないと少しずつ信じていく人物たちを描いている。

この特集では、『進撃の巨人』をひとつのシンプルな問いから読み解いていく。人はどうして、「他者は消えるべきだ」と考えるに至るのだろうか。

その問いを考えるために、地鳴らしへと至るまでの道のりをさかのぼっていく。人を分類し、隔て、敵のイメージを作り上げ、恐怖を受け継ぎ、ある種の暴力を許容できるものへと変えていく。そして最後には、ある集団の消滅そのものを「解決策」と考えるようになる。社会はどのようにして、そこまでたどり着くのだろうか。

ここでの目的は、マーレやエルディア人、パラディ島に現実世界の完全な対応物を見つけることではない。作品が描くさまざまな仕組みを、歴史学、社会心理学、社会学の研究や、十分に記録されている複数の歴史的事例と照らし合わせながら考えていくことにある。

『進撃の巨人』をたどる主な出来事

2009年 — 諫山創による『進撃の巨人』の連載が『別冊少年マガジン』で始まる。

2013年 — TVアニメの放送が始まる。この時点では、『進撃の巨人』の世界はまだ壁の内側と、人類と巨人との戦いに限られているように見える。

2017〜2019年 — Season 2とSeason 3によって、それまでの前提が大きく覆される。巨人の起源、壁の歴史、そして外の世界の存在が明らかになり、物語の争いははるかに大きな歴史の中へと位置づけ直されていく。

2020年 — The Final Seasonはマーレから始まる。ガビ、ファルコ、そして戦士候補生たちを通して、海の向こう側からこの争いを見ることになる。

2021年 — 約12年にわたる連載を経て、原作漫画が第139話で完結する。

2023年 — アニメ版も完結し、地鳴らしとエレンの物語に終止符が打たれる。

その間に、私たちの争いに対する理解は大きく変わっていく。巨人との戦いの背後から、マーレ、エルディア人、パラディ島が姿を現し、差別、プロパガンダ、記憶、復讐、ジェノサイドといった問題も浮かび上がる。この特集では、それぞれのテーマをたどりながら、『進撃の巨人』が地鳴らしへとつながる暴力の連鎖をどのように一段ずつ築いていくのかを考える。

特集を構成する10の章

『進撃の巨人』に描かれる暴力を、ひとつの原因や共通するひとつの説明だけで捉えるのではなく、この特集では、その過程を構成するさまざまな段階を追っていく。各章では、まず作品そのものが投げかける問いから出発し、それを歴史や社会科学から得られる知見と照らし合わせる。

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地鳴らしは本当にジェノサイドなのか?

エレンは、パラディ島の外にいる人類のほとんどを踏み潰そうとする。しかし、犠牲者の数や虐殺の規模だけで、法的にジェノサイドと定義できるわけではない。第1章では、マーレ、ジークの計画、そして地鳴らしを取り上げ、ジェノサイドと虐殺、絶滅、あるいは人道に対する罪は何が異なるのか、そしてなぜ「ある集団を消滅させる意図」がその定義の中心にあるのかを考える。

(近日公開)なぜガビは会ったこともない人々を憎むのか?

ガビ・ブラウンが登場した時点で、彼女はパラディ島の住民に一人も会ったことがない。それでも彼らをすでに「悪魔」とみなし、その殲滅に加わることを望んでいる。第2章では、なぜ人は一人ひとりの個人よりも「カテゴリー」を先に見るようになるのか、そして知っているつもりだった相手と実際に出会うことが、時としてその認識をどう変えていくのかを考える。

(近日公開)なぜライナーは「善良なエルディア人」になろうとするのか?

ライナーは、エルディア人として生まれたこと自体が問題だと教える社会の中で育つ。戦士になることは、自分と家族が「善良なエルディア人」の側にいると証明するための手段でもあった。彼の歩みを通してこの章が考えるのは、自分自身が受けている差別を人はどのように内面化し、ついには受け入れてもらうために、自分と同じ人々から距離を置こうとするようになるのかという問題だ。

(近日公開)なぜ生まれる前に犯された罪の代償を払わなければならないのか?

ガビもライナーもグリシャも、かつてのエルディア帝国が犯した罪には加わっていない。それでも彼らは、その過去がエルディア人に対する見方や扱いを今なお左右する世界で育つ。この章では、罪責がどのように世代を越えて受け継がれうるのか、相反する記憶がどのように対立を維持するのか、そして祖先の行為について子孫はどこまで責任を負わされうるのかを考える。

(近日公開)なぜヴィリー・タイバーは「攻撃が必要だ」と群衆に信じさせることができるのか?

レベリオで、ヴィリー・タイバーはかつてのエルディア帝国をめぐる真実の一部を明かしたうえで、エレン・イェーガーとパラディ島を世界に対する脅威として示す。彼の演説から見えてくるのは、現実の事実であっても、何を選び、どう並べ、どう語るかによって現在に特定の意味を与えられるということだ。そして何より、危機への恐怖が、集団全体に対する暴力を少しずつ受け入れられるものへと変えていく過程でもある。

(近日公開)地鳴らしは、なぜパラディ島で受け入れられるようになるのか?

何世代ものあいだ、パラディ島の住民は外の世界についてほとんど何も知らずに生きてきた。そしてその存在を知ったとき、世界の一部が自分たちの消滅を望んでいることも知る。この章では、自分たちが消されるかもしれないという恐怖が、考えられる選択肢をどのように狭めていき、やがて自らの集団を守るためなら極端な暴力さえ正当な手段に見えるようになるのかを考える。

(近日公開)自分の行為が残酷だと分かっているのに、なぜエレンは止まらないのか?

エレンは海を渡り、かつて敵だと思っていた人々と出会い、彼らがパラディ島の住民と根本的には変わらないことを知る。そして、地鳴らしが何をもたらすのかも理解している。この章で考えるのは、犠牲になる人々の人間性を認め、自分がこれから行うことが残酷だと分かっていながら、それでもなお彼らを滅ぼすことだけが唯一の解決策だと考え続けることが、なぜ可能なのかという問いだ。

(近日公開)なぜジークは、エルディア人を消滅させることを「慈悲」だと考えられるのか?

ジークは、ユミルの民を直接虐殺しようとしているわけではない。彼の計画は、新たな子どもが生まれないようにすることで、巨人の力とともにその民族を徐々に消滅させるというものだ。この章では、集団の消滅を受け入れられるものにする、もうひとつの方法を考える。それを復讐や勝利としてではなく、ほかに解決のしようがないと考えられた苦しみに対する、合理的で、さらには慈悲深い解決策として提示する方法だ。

(近日公開)なぜリヴァイは復讐心を集団への憎悪に変えないのか?

リヴァイは仲間たちの死を目の当たりにし、エルヴィンを失い、多くの犠牲を生んだジークを追い続ける。それでも彼の憎しみは、ジークが属する民族全体ではなく、あくまで一人の人間に向けられている。そこから浮かぶのは重要な問いだ。極端な暴力にさらされた人の中に、加害の責任を負う者と、その者に似ているだけの人々とを区別し続けられる人がいる一方で、なぜ別の人は集団全体へと罪を広げてしまうのだろうか。

(近日公開)憎しみの連鎖は本当に断ち切れるのか?

ガビは変わり、ライナーは戦うはずだった相手の人間性を知り、リヴァイは復讐を民族全体へと広げることを拒む。それでもエレンは、相手を知ることだけでは、その破壊を防げない場合があることを示している。最終章では、受け取った憎しみを次の世代へ渡さないために何が必要なのかを考える。同時に、他者と出会い、理解し、その人間性を認めることさえ、なぜ暴力の連鎖を長期的に断ち切るには十分でない場合があるのかを問う。

『進撃の巨人』で「敵」が作られていく過程を読み解く5人の人物

『進撃の巨人』では、登場人物を通して、ひとつの過程の異なる段階を見ることができる。彼らの考え方も歩んだ道も同じではない。それでも一人ひとりが、他者への恐怖から、その存在そのものを消すという発想へ至るまでの道の一部を照らしている。

人物 その歩みから考えられること
ガビ・ブラウンガビ・ブラウン 会ったこともない集団を憎むよう社会が人に教え、そのイメージを疑う余地のない「当然のこと」にしていく過程。
ライナー・ブラウン 自分自身が受けている差別を内面化し、所属する集団から自分を切り離すことで、受け入れられるに値する存在だと証明しようとする過程。
ヴィリー・タイバー 政治的な物語が、事実、記憶、恐怖を組み立て、共通の脅威を作り上げる過程。
ジーク・イェーガー ある民族の消滅を、復讐ではなく苦しみを終わらせる方法として提示する過程。
エレン・イェーガー 相手の人間性を十分に理解していても、身内を守るという理由によって、その破壊を受け入れられるものにしてしまう過程。

なぜ『進撃の巨人』を私たち自身の歴史と照らし合わせるのか?

『進撃の巨人』が、歴史書や学術研究、あるいはこの特集で取り上げる出来事を実際に経験した人々の証言に取って代わることは決してない。

一方で、フィクションには別の大きな力がある。私たちがまだ名前すら知らない仕組みを、先に目の前で経験させることができる。

たとえばガビと出会った時点で、私たちはパラディ島の住民が、彼女の思い描く「悪魔」とは違うことをすでに知っている。ライナーが本来戦うはずだった人々の姿を知る頃には、私たち自身が何章も、あるいは何シーズンも彼らとともに過ごしている。そして地鳴らしが始まるときには、その最終的な決断へ少しずつつながっていった出来事を、何時間にもわたって見届けてきた。

この作品に歴史を説明してもらおうとは考えていない。この特集を始めたときの発想はシンプルだった。フィクションが投げかける問いを出発点にし、歴史学者、心理学者、社会学者、法学者たちが現実の世界で研究し、説明しようとしてきた仕組みを考えてみることだ。

『進撃の巨人』を理解し、読み解く

『進撃の巨人』の主なテーマは?

『進撃の巨人』では、自由、戦争、記憶の継承、復讐、差別、プロパガンダ、集団責任、暴力の連鎖などが描かれている。とりわけ重要なのは、異なる集団がどのように「敵」のイメージを作り上げ、自らの暴力を次第に正当化していくかという問題だ。

地鳴らしは、パラディ島の外にいる人類のほとんどを滅ぼそうとする。しかし、この問題は単純に犠牲者の数だけを比較して判断できるものではない。ジェノサイドという概念には、とりわけ保護される集団を、その集団であることを理由に、全部または一部破壊する意図が必要になる。この特集の第1章では、この問題を詳しく取り上げている。

憎しみの連鎖は、『進撃の巨人』後半の中心的なテーマのひとつだ。前の世代が行った暴力が次の世代の恐怖と暴力を生み、それぞれの側が自らの行為を相手への「応答」だと考えられる理由を持つようになる。それでも、この論理から抜け出そうとする人物もいる。

『進撃の巨人』には、さまざまな歴史の時代を想起させるイメージや状況、仕組みが登場するが、その世界自体はあくまで完全なフィクションである。そのため、マーレ、エルディア人、パラディ島を現実の民族や国家と一対一で対応させることなく、歴史研究を通して特定の仕組みを考察することはできる。

エルディア人をそのままユダヤ人と同一視することには、いくつもの問題がある。『進撃の巨人』の一部の視覚表現や政治的要素が反ユダヤ主義やホロコーストの歴史を想起させるとしても、エルディア人には諫山創が作り上げた世界に固有の歴史と超自然的な特徴がある。この特集で比較するのは民族そのものではなく、差別や迫害が生まれる仕組みである。

この特集をどのように構築したか

各記事の出発点は、あくまで『進撃の巨人』という作品そのものにある。

まず優先して確認するのは、諫山創の原作漫画、フランス語公式版、そしてアニメ版だ。ある場面で人物が何を語り、何を信じ、何を理解しているかによって解釈が左右される場合には、該当する話数や台詞を確認している。

そのうえで、社会心理学、社会学、歴史学の学術研究、ジェノサイドや大規模暴力に関する文献、国連文書、国際裁判所の判断、記憶継承を担う機関が作成した資料など、異なる種類の情報源と照らし合わせる。

したがって、読み解きには三つのレベルがある。

  • 『進撃の巨人』が明示的に描いていること、
  • 研究から確認できること、
  • そして、それらを照らし合わせたうえで私が提示する解釈である。

目的は、歴史の中に現実の国家、民族、人物と作品世界の対応関係を探すことではない。フィクションが現実世界について何を問い直すきっかけを与えるのか、そして日本のポップカルチャーにおけるこれほど重要な作品から何を学べるのかを考えることにある。

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