聖闘士星矢 海皇再起 RERISE OF POSEIDON:思いがけなかった海闘士たちの帰還
『聖闘士星矢 Saint Seiya』は、私が日本アニメを好きになるきっかけをつくった作品のひとつだと思う。子どもの頃、フランスのテレビ番組「Club Dorothée」で作品に出会い、主題歌やフィギュアにも夢中になった。その後、冥王ハーデス編と「聖闘士聖衣神話(Myth Cloth)」の登場によって、何年も経ってから再びその情熱が強く呼び起こされた。私はこの世界から完全に離れたことはない。漫画を買い続け、原画も集め、さまざまな続編を追いながら、このシリーズがどのように変化していくのかを見てきた。 しかし年月を重ねるうちに、私の中では少しずつ何かが失われていった。新たなシリーズや作画スタイルの変化、数多くの派生作品によって、かつて『聖闘士星矢』に惹かれたものから距離を感じることも増えていった。特に大きかったのは、アニメによって築かれたあの独特のビジュアルだ。荒木伸吾、姫野美智、井上栄作といったアーティストたちが形づくったイメージは、私にとって『聖闘士星矢』そのものと深く結びついている。だからこそ、『聖闘士星矢 海皇再起 RERISE OF POSEIDON』を読み始めたときには、好奇心と同時に少なからず警戒心もあった。まさか海将軍たちが、もう一度『聖闘士星矢』の世界に深く入り込みたいと思わせてくれる存在になるとは、まったく予想していなかった。
目次
なぜ今、海将軍なのか?
海将軍を復活させるという発想は、私には決して当然の選択には思えなかった。『聖闘士星矢』はこれまでにも、死んだ人物やかつての敵、消えたと思われていたキャラクターを何度も再登場させてきた。さすがに、その仕掛けが持つ驚きは少しずつ薄れていた。
ただし海将軍には、もう一つ特徴がある。姿はよく知っているのに、彼らがどんな人物だったのかはほとんど知られていない。
カノンとアイザックには、それぞれの物語がある。一方で、バイアン、イオ、クリシュナ、カーサ、さらにはソレントとなると事情は違う。原作漫画では登場するとすぐに技や個性で存在感を示し、その多くが青銅聖闘士との戦いで命を落とす。役割は果たしているものの、車田正美が彼らにそれ以上の余白を与えることはなかった。
須田綱鑑自身も、『Rerise of Poseidon』の成立を振り返るなかでこの点に触れている。こうした非常に直接的な描き方は原作漫画の長所の一つであり、車田は敵を印象づけるために長々と心理描写を重ねる必要がなかった、と彼は考えている。人物の経歴よりも、物語のテンポが優先されていた。
しかし彼らを主人公側に移すと、須田には別の問題が生まれる。登場させ、技を一つ二つ放たせ、数話後に退場させるだけではもう成立しない。今度は、彼ら自身がどのような道を歩むのかを描く必要がある。
この第1巻で私が面白いと感じたのは、まさにそこだった。
特に良かったのは、カノンの裏切りをあらためて物語の中に持ち込んだ点だ。海闘士たちは皆戦い、命を落とした者さえいる。その一方で、彼らを率いていた人物は陰で全てを操り、そもそもの争いを引き起こしていた。その事実は、彼らが過去の戦いと自分たちの歴史をどう受け止めるかを変えてしまう。ここで彼らは、変わらぬ忠誠心と新しい必殺技だけを携えて戻ってくるわけではない。自分たちが信じていた意味とは違っていたかもしれない戦いの重さを背負って戻ってくる。
カノン、アイザック、カーサをめぐる描写はとても気に入ったし、シャカのような別の人物との意外なつながりも面白かった。こうした細部によって、これまで忘れられがちだった海将軍たちに、ようやく少し厚みが生まれている。
調べていくなかで、須田が最初に考えていた企画は、そもそも海将軍を題材にしたものではなかったことを知った。企画は、車田プロとのやり取りをきっかけに変化したという。ポセイドンと海将軍は、『聖闘士星矢』の主要勢力の中でも、まだ自分たちを中心にした物語をほとんど持っていない数少ない存在だった。
つまり、40年近く知られてきたキャラクターでありながら、まだ描ける余白が大きく残っていたことになる。『Rerise of Poseidon』が扱うのは、再登場に意味を感じられるほど馴染みがありながら、今なお新しく知ることが残っているほど描写の少なかった人物たちだ。


車田らしさを取り戻しながら、完全には原点に戻らない
『Rerise of Poseidon』で最初に目を引かれたのは絵だった。須田綱鑑は、原作漫画との間に意図的な断絶を作ろうとしていない。コマによっては、ポーズや顔の作り方、ちょっとしたユーモアまで車田正美を思わせる。そこに、より整った線と少し現代的な仕上げが加わっている。
一部の読者が「車田2.0」と呼ぶ理由はすぐに理解できた。この類似性は作品への反応でも繰り返し語られており、イラストによっては須田の絵なのか車田の絵なのか混同されることさえある。
読んでいる私自身も、同じ感覚を抱いた。こうしたコマの組み立てや、紙の上で『聖闘士星矢』を動かす独特の方法に再び触れると、確かな懐かしさがある。特に『Saint Seiya: Episode.G』のような作品を経たあとでは、これほどシンプルな表現から得られる楽しさを、私はほとんど忘れていた。
私はスピンオフに車田の画風を模倣してほしいと思ったことはない。『THE LOST CANVAS』にも『セインティア翔』にも、それぞれ独自のビジュアルがあり、それ自体が問題だと感じたことはほとんどない。ただ、『Saint Seiya: Episode.G』は私にとってかなり難しい作品だ。岡田芽武は、描き込みの密度や装飾、キャラクターの独自解釈を非常に強く押し出しており、視覚的に『聖闘士星矢』の世界を見つけにくくなることがある。芸術的な選択として理解はできるが、私自身がこのシリーズに抱いてきた感覚からはかなり遠い。
須田は、ほとんど逆の方向を選んでいるように見える。彼の絵は、新しい作家が『聖闘士星矢』を手にしたことを強調しようとはしない。むしろ、車田の作品から自分の作品へ自然につながるようにしているようだ。それが驚くほど上手く機能する場面もある一方で、代償も分かりやすい。須田綱鑑自身の画風が、私にはやや見えにくい。
私自身、バイアンやカーサなど、一部のキャラクターをすぐには認識できなかった。須田が実際に顔つきを変えているのか、それとも長年のうちに私の記憶がアニメ版の印象に強く形作られただけなのか、原作漫画ともう一度見比べてみる必要がありそうだ。
ここでも、私自身と『聖闘士星矢』との関係が、この新作の読み方を少し複雑にしている。私の記憶にある『聖闘士星矢』は、車田正美だけのものではない。アニメ版であり、荒木伸吾や姫野美智、そして井上栄作のように、そのビジュアルを深く形作ったアニメーターたちの作品でもある。だから車田の漫画に戻ることには懐かしさがある一方、それは私の記憶に焼き付いている『聖闘士星矢』と完全に同じではない。
『Rerise of Poseidon』は、その二つの間にいる。車田に十分近いため、知っている世界へ戻ってきた感覚がありながら、技術的には整っているため、車田の線を誇張して再現したようには見えない。

また新しい聖衣……そして、やはり新しい聖闘士聖衣神話?
アークスケイルが登場したとき、私はすぐに既視感を覚え、同時に少し気持ちが冷めた。
私は長年、聖闘士聖衣神話を集めていた。しかも一体は聖衣を装着した状態、もう一体はオブジェ形態で飾るため、同じ商品を二つずつ持っていたほどだ。このシリーズが大好きだった。2000年代初頭に商品展開が始まり、同じ時期にハーデス編によって『聖闘士星矢』が再び動き出したことで、私の情熱が戻るきっかけにもなった。
ただ、『聖闘士星矢』のコレクションはやがて際限なくお金のかかるものになった。同じキャラクターが別バージョンで何度も登場し、聖衣は進化し、シリーズは更新され、新しいデザインが出るたびに新たなフィギュアを買う理由が生まれた。もっと悪い場合には、すでに持っているキャラクターをまた買い直す理由になる。ある時から私は、こうしたシリーズの変化がまだ作品世界のためにあるのか、それともコレクターに延々と買い続けてもらうための、かなり巧妙で効果的な仕組みになっているだけなのかと考えるようになった。
同じ連想をするのは、もちろん私だけではない。『Rerise』についての議論では、アークスケイルは「聖闘士聖衣神話を売るため」だと冗談めかして語るファンがいる。その同じ文の中で、自分も発売されたら喜んで買うと付け加えることさえある。この矛盾は、『聖闘士星矢』と商品展開の長い関係をよく表している。仕組みが分かっていても、それでもその聖衣を魅力的だと思ってしまう。
ただ今回は、ファンの推測よりずっと興味深い答えがある。
須田綱鑑は、企画の初期段階から、バンダイの商品になり得る要素を入れたいと考えていたと語っている。アークスケイル以前には、地上戦を想定した、より重く強力な「ヘビースケイル」を構想していた。海底神殿を離れて戦う今回のスピンオフには理にかなっており、私はこの発想をとても面白いと思う。ただ、物語が変化し、海将軍たちが主人公になると、コンセプトもそれに合わせて変わった。アークスケイルは、ポセイドンの血によって目覚める、スケイルの古代の姿となった。
須田はまた、『聖闘士星矢』ですでに確立された概念と重ならないよう、あえて新たな神聖衣にはしなかったと説明している。つまり、この聖衣にはポセイドン神話の中で独自の理由があり、同時にフィギュア化できる可能性も当初から考えられていたことになる。神聖衣ではない。その点は素直にありがたい。
もう一つ重要だと思うのは、デザインが第1話の掲載前からバンダイスピリッツに共有されていたことだ。須田は、立体化について具体的な話し合いが行われ、透明パーツの使い方、塗装、必要な部品数にまで話が及んだと述べている。そして2023年、TAMASHII NATIONでアークスケイルをまとったセイレーンのソレントの聖闘士聖衣神話EXが展示された。試作品は確かに存在する。ただし、それから3年が経った現在も、一部のファンが待ち望んでいるであろうシリーズ全体の商品化には至っていない。
私は、この率直さにむしろ少し安心した。シリーズに商業的な側面があることは確認できるが、アークスケイルは、あとからフィギュアを何体か売るためだけに付け加えられた設定には見えない。須田は漫画と聖衣のデザイン、そしてそれが実物の商品になる可能性を同時に考えている。


読んでいる間、ずっと気になっていたことが一つある。海将軍たちは、強さの面で昔からあまり恵まれた評価を受けてこなかった。ポセイドン編では、その多くが青銅聖闘士に比較的あっさり倒される。その青銅聖闘士たちは、すでに十二宮編で遥かに厳しい戦いを経験しており、アニメ版まで含めればアスガルド編も経ている。この点は、今でもファンがポセイドン編に向ける代表的な不満の一つだ。『Rerise』は海将軍たちに時間と物語を与えるだけでなく、より古く、より上位の形態とされるスケイルまで与えている。
ではアークスケイルをまとったバイアン、イオ、クリシュナ、カーサ、ソレント、アイザックは、星矢たちと戦っても同じ結末を迎えただろうか?
漫画には、この問いに真面目に答えられるほど明確な強さの基準はない。須田自身も、元のスケイルが時にあっさり破壊されていたことを冗談交じりに語っているが、正確な答えを出すことはできない。
結局、私は答えが分からないままでいいと思っている。『Rerise』は、私の記憶の中で薄れていた海将軍たちの存在感を取り戻してくれた。今なら青銅聖闘士に勝てるのかどうかは、そもそも決着をつける必要のない問いなのかもしれない。

もう期待していなかったところで、『Rerise』が成功していること
結局のところ、『Rerise of Poseidon』には、私が長年『聖闘士星矢』に対して不満を感じてきた要素がいくつも使われている。死んだキャラクターが戻り、新たな神が現れ、聖衣が進化し、戦いはこのシリーズが40年近く使い続けてきた構造を踏襲する。弦楽器を使う新たな敵が登場したときには、さすがに少し笑ってしまった。ミーメ、オルフェ、琴座のオルフェウス、さらにはアベルまでいるのだから、この系統のアイデアはかなり使い込まれている。
この第1巻が『聖闘士星矢』を革新していると言えば嘘になる。そもそも作者も、それを目指しているようには見えない。戦闘はテンポよく進み、ときには私には少し速すぎるくらいだ。短くまとめることを前提にしたシリーズとしてはリズムが生まれる一方、少し物足りなさも残る。ようやく海将軍たちが前面に立てるようになったのだから、私はもう少し長く彼らと付き合いたかった。
そう感じたのは私だけではない。Redditでは、物語自体はまずまずとしながらも、長引かせずに海将軍たちへ個性を与えている点を評価する声がある。ある読者の感想は、私が感じたことをうまく言い表していた。海将軍たちがようやく、青銅聖闘士の前に置かれた障害ではなく、一人の人間として見えるようになったというのだ。一方で、物語や新キャラクターはかなり定番的だと感じる読者もいる。こうした反応から見えてくるのは、シリーズに突然現れた傑作というより、ファンが好む要素を使いながら、自分が何をしたいのかを理解しているスピンオフという姿だ。
コミックシーモアに掲載されている数少ない日本語レビューも、ほぼ同じ方向を向いている。原作のキャラクター性が尊重されていること、車田の絵に近いこと、そして若い頃に見ていた『聖闘士星矢』に再会したような独特の感覚を挙げる読者が複数いる。
こうした「見覚え」や「懐かしさ」を示す言葉が無視できないほど繰り返し現れるのは興味深い。そしておそらく、それがこの漫画が私の予想以上に響いた理由なのだと思う。
私は新世代の聖闘士を必要としていたわけではないし、世界観を一から作り直すような試みを求めていたわけでもない。すでに十分な金額を費やしてきたコレクションをさらに延命するためだけの新しい聖衣なら、なおさら必要なかった。ここで見つけたものは、もっとささやかだ。何十年も知っていたのに、実はほとんど意識してこなかった七人のキャラクターだった。
須田の企画は、ポセイドンと海将軍たちには、まだ彼ら自身の物語がなかったという気づきから生まれた。そして原作についての彼自身の言葉からも、当時彼らに与えられた尺がごく限られていたことを十分理解していたと分かる。彼はこの世界の一部を取り出し、車田が描く時間を持てなかったものに目を向け、その余白の中に自分の物語を組み立てている。
第1巻を閉じたとき、私は『Rerise of Poseidon』が『聖闘士星矢』を救うのかとは考えなかった。ただ、この物語の結末を知るために、続く3巻が手元にないのが残念だと思った。
漫画を買い続けながらも、かつて自分を突き動かしていた熱量を少しずつ失っていたシリーズで、そう感じられたこと自体がすでに大きい。
『Rerise of Poseidon』は、『聖闘士星矢』という世界がなぜこれからも続くべきなのかを思い出させたわけではない。むしろ、なぜ私はこれほど長くこの作品を追い続けたいと思ってきたのかを思い出させてくれた。
最後に、『Saint Seiya: Rerise of Poseidon』第1巻をご提供いただいたKanaに、あらためて感謝したい。この一冊を通して、『聖闘士星矢』の世界とポセイドンの海将軍たちを新たな角度から描いた作品に触れることができた。



